かけがえのない
大人にとって、時間とは繰り返されるものであり、また積み重なっていくものです。正月になれば、1年を振り返り、新年の計を立てたりします。また、仕事や好きな趣味があれば、経験を積み重ねる大切さを理解します。今日は、昨日までの積み重ねや反省の上に成立しており、明日もまた、今日の続きでもあると考えます。そうは考えないという人はたくさんいると思いますが、私はそう考えますし、会社勤めもしてきて、そういう考え方が身についています。PDCAという仕事のサイクルなどは、まさに改善と反省の繰り返しであり、現状認識をした上で、仕事の計画を作ろうというものです。
ところが、10代前半の生徒たちにとっては、1年は1年であり、今日は今日であるのだと思います。今日は昨日とは違うし、明日は今日と違う。中学3年生という時間は1回しかない。高校生活も1回しかない。
10代前半の若者と大人とでは、「時間」や、その時間を「生きる」ことへの感覚、思いは天と地ほどの開きがあるのだと思います。
生徒を毎年、送り出し、また迎えることを続けていると、昨年はこれができて、あれができなかったという反省を受けて、今年はこうしようと考えがちになります。これでは生徒の感覚になっていないことに気づきます。入試は1回きりです。今年、過ごしている学年も1回きり、3年生の1学期も1回きりです。この時、この瞬間は今しかない。かけがえのない時間を過ごしています。だから、うまくいかなかった時に、生徒は反省でなく、後悔するものです。講師も生徒と同じく、後悔すべきなのだと思います。
聖書に、「悔い改め」という言葉があります。改める、その前に、「悔いる」ことが求められます。単なる反省だけでは、改善はできても、改めることはできないでしょうと。かけがいのないものだからこそ、取り返しがつかない、後悔したくないという気持ちで、生徒に関わっていきたいものです。