塾の役割を考える1 塾の歴史その①
学習塾の役割りについて考えてみようと思います。
「塾が果たすべき役割とは何か」
まず、「塾」の定義ですが、
国や行政機関が行う公教育に対し、民間が行う私的な教育機関とします。
まずは、前提として、塾の歴史について、調べてみました。
今回は、日本の中世、近世です。
日本では、鎌倉時代以降、仏教寺院大きな役割を果たすようになります。
布教目的もあったようですが、幕府の庇護もあり、武士のみならず、
庶民との結びつきを強めるため、教育機関としての役割を果たしていったようです。
この時代、公教育と言えるのは、足利学校がありましたが、
広く教育を行っていたわけではありません。
ですから、仏教寺院が私的な教育機関として、公的な教育にとって代わるくらいの
大きな役割を担っていたようです。
そこでは、文学などの教養だけでなく、生活に欠かせない読み書き、
道徳といった世俗的な内容も教えていました。
江戸時代になると、公教育としては、幕府の機関である昌平坂学問所があります。
各藩が作った藩校も公的機関と言ってよいと思います。
そこでは武芸や漢学、朱子学が教えられていました。
それに対して、民間機関としては、寺院の系譜を継ぐ「寺小屋」があります。
江戸時代にかなり発展します。
江戸時代の識字率の高さ、これは世界でも驚きの高さだそうですが、
それを支えていたのが寺小屋です。
また、商いが発展したため、そろばんが出来るようになることが庶民の教育ニーズとして大きくありました。
そして、もうひとつは、幕末に輝きを放った「私塾」と言われるものです。
有名どころでは、吉田松陰の松下村塾、緒方洪庵の適塾があります。
幕末の急激な時代変化の中、漢学、国学、そして、洋学(蘭学)、
ヨーロッパの学術、技術、文化を教え学びあう場でした。
藩校が、藩士の子弟に限っていたのに対し、寺小屋や私塾は、広く門戸を開いていました。
時代のニーズや社会を転換させる原動力となるような思想、生き方などが議論され、
学び合っていたことが伺えます。